8月27日、28日に実施した、哲学プラクティス連絡会 第2回大会。
本大会で実施いただいたワークショップにつきまして、スタッフによるレポートを掲載していきます。
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■ワークショップ2:ミニシンポジウム 【対話の余白から;〈在野の市民カフェ〉の健全な機能となにか?】(主催:芹沢幸雄(さろん))
「対話の余白から;〈在野の市民カフェ〉の健全な機能とはなにか?
【「さろん」芹沢さんによる基調講演】
まずは、現在の実践者の多くが教育機関で哲学を専門的に学習している、という状況の下、芹沢さんの「さろん」を含めた「非専門家」である団体はいかにあるべきか、そしてどのような意義<をもつのか、など、ご自身の非専門性による「心許なさ」と共に率直にお話されるところからスタートしました。
そこで、後半のシンポジウムへの手がかりとして、哲学カフェには三つの構成要素「有用性」「安全性」そして「健全性」が言えるのではないか、と呈されます。その中でもとりわけ「健全性」について考えることに。明確な定義をあえてせず、パネリストが事前に寄せた資料のキーワードを拾いながら進みます。「楽しいという実感」「無理に何かを示そうとしないこと」「哲学的に対話するための基本事項、”真理を探究する”を押さえていること」などなど。
芹沢さんの作り込まれた資料で哲学カフェの社会史を確認したり、パネリストの実際の活動と絡めて思想を展開したりと、「健全性」の内実に迫りつつ、パネリストらにバトンが受け渡されました。
【シンポジウム】(敬称略)
「閉鎖的でなく、軽やかでありたい」(尾﨑)など、それぞれの運営のスタイルと「健全性」について絡めたお話を順番にパネリストがお話されたあと、会場からの質問も入りながら早速シンポが始まります。
多様な背景を持つゲストが集まりましたが、会の中で一つの線引きとして自然に意識されたのは、哲学研究を経験している「専門家」(梅田、島内)とそうではない「非専門家」(尾﨑、廣井、たなか)、現在哲学カフェを実践している方(梅田、尾﨑、たなか)と、休止された方(島内、廣井)、というあり方でした。
まずは専門性について。「非専門家(素人)なので」といった基調報告・パネリストの言葉を受けて「”専門性”ということで何を意味しているのか。”専門家ではない”ということで何かを覆い隠してはいないか」(梅田)といった指摘が出たり、「哲学カフェにそもそも専門性なんてものはあるのだろうか」(会場)といった問いが出てきます。「もしそうした切り分けをするのならば、アマチュアとプロフェッショナルだけでなく、営利性と非営利性という対も必要では」(島内)という新たな分け方も提起されました。
また、哲学カフェの休止が「”健全性の欠如”が原因」(廣井)という発言についても関心が多く寄せられます。「参加者の力関係が見事に反映されてしまう哲学カフェを多く経験し、役に立つどころか社会に害を及ぼすのではと、楽しさが損なわれてしまった」(島内)「哲学カフェを主催する人は真理の探究にこだわることができる人がやるべき。だが自身にその情熱が足りなかった」(廣井)などの実体験をお話下さる場面もありました。
残念ながらお時間となり、タイトルにある「〈在野の市民カフェ〉の健全な機能」についての明確な答えは出ない、まるで哲学カフェのような終わり方になりましたが、それぞれのパネリストの運営スタイルが見えながらも、どうあるべきかといった問いを抱き考え続けているという点では、共通した姿勢が見えるシンポジウムでした。
(レポート執筆:永井玲衣)