8月27日、28日に実施した、哲学プラクティス連絡会 第2回大会。
本大会で実施いただいたワークショップにつきまして、スタッフによるレポートを掲載していきます。
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■ワークショップ8:哲学ウォーク 池袋キャンパス内(主催:河野哲也)
哲学ウォーク」は、哲学者のピーター・ハーテロー氏が考案した、哲学プラクティスの方法論のひとつである。哲学的な名言を一人一つ覚え、特定の場所を歩きながら、その名言にふさわしい場所を探し、質問し合う、という内容のもの。今回は、哲学プラクティス連絡会代表/立教大学文学部教授の河野哲也先生により、立教大学池袋キャンパス内とその周辺で実施された。
具体的な手順は、以下の通り。
1. スタート地点で、哲学者の名言が書かれた短冊を一人一枚取り、その言葉を覚える。
2. 列になって無言で歩く。
3. 名言にふさわしいと思った場所で各自手を挙げる。
4. 名言を発表する。
5. なぜこの場所かを説明する。
6. 他の人は一人一つ質問をする。
7. その中から一番いいと思った質問を選ぶ。
(3.~7.を歩いている間に各自おこなう。途中でストップをかけずにゴール地点に到達してしまった人は、その場所で発表する。)
8. ウォーキングが終わった後、選んだ質問に答える。
人数は、多くて10名程度。名言は、おこなわれる場所の性質に合わせて選定する場合もあり、敢えて重複するものを混ぜておくこともあるという。事前にルートと言葉さえ選んでおけば、その場でファシリテーションをする必要があまりないのが特徴である。
河野先生を先頭に、一行は無言でキャンパスの内外を散策した。さまざまな場所を散策していく中で、手が挙がったのは、道路に植えられた木、歩行者用信号、モダンな校舎、排気口、教会、看板など。
例えば、大学の外の歩行者用信号の前で手が挙がった際には、エーリヒ・フロムによる「人生の意味は一つしかない。それは生きるという行為それ自体だ。」という名言が読まれた。人生には、赤信号も、青信号もある。人間は、立ち止まったり、進んだりしながら、ただひたすらに生きているのではないか。この説明に対しては、「人生に信号は必要ですか?」などの質問が投げかけられた。
このような調子で、11名による発表と、それに対する質問がおこなわれていく。
最後に教室に戻ってきた際には、8.の質問に答える時間が設けられず、参加者の間で感想の共有のみがおこなわれた。最も多かったのが、具体的な者や風景に即して抽象的な言葉を考えることで、言葉への新たな向き合い方が生まれてくる、という意見であった。これは、考案者のハーテロー氏が最も意図していたことだと河野先生は言う。また、複数人で黙って歩くことで、他者の目線に触発されながら、逆に思考を自分の中で深く反芻できた、という意見もあった。
私も参加してみて、印象的だったのが、つくりこまれた名所ではない何気ない場所の方が、言葉や考えを引き出せる場合が多いということである。池袋キャンパスの美しい正門や中庭の周辺では誰も手を挙げず、信号、道端の木、排気口など、普段は見過ごしてしまうような物や風景の前で手を挙げる方がとても多かったのである。哲学ウォークは、具体的な物や風景を通して抽象的な言葉について考えるだけでなく、逆に抽象的な言葉を通して具体的な物や風景を改めてじっくりと見直してみる機会にもなり得るように感じた。
(レポート執筆:石橋鼓太郎)