8月27日、28日に実施した、哲学プラクティス連絡会 第2回大会。
本大会で実施いただいたワークショップにつきまして、スタッフによるレポートを掲載していきます。
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■ワークショップ1:子ども哲学理論研究(主催:土屋陽介、中川雅道、小川泰治)
「子ども哲学理論研究」では、哲学プラクティス連絡会の中にも学会的な要素があってもよいのではないかという思いから企画されたワークショップでした。はじめに三人の発表者の方が順番に発表を行い、その後に参加者全員が輪になって3人の発表をもとに哲学対話が行われました。このワークショップでは40名を越える方々が参加しました。
1番目に発表をした土屋陽介さんは子どもの哲学が道徳教育にどのように貢献するかというテーマのもとに発表をしてくださりました。道徳教育で養う「優れた性格」には個々の文脈や状況を判断し配慮する知的な働きも必要であり、この点において子どもの哲学はクリティカルシンキングという面で貢献する可能性があるとしました。ここから、「クリティカルシンキングとキャラクターエデュケーションは両立しうるか?」という問いに発展し、道徳教育における「教え込み」の問題となりました。子どもの哲学でのルールの「教え込み」に関して、リップマンなどの研究者の考えを引用しながら手続きと内容の教え込みの問題についてお話くださりました。
2番目に発表をした中川雅道さんは子どもの哲学で重視される「探究の共同体」とはなにかというテーマで発表をしてくださりました。もともと「探究の共同体」はリップマンの用語ではなく、パースが用いた用語で、科学的なものに対して言われていました。パースの概念としての「探究の共同体」に注目し、パースは疑い(不安)から信念(穏やか、満足)に至るプロセスが探究であるといいます。そして、考える事はそもそも行動であり、疑いが信念に至る過程でどんどん修正されるものであるとのことでした。
3番目に発表をした小川泰治さんは、子どもの哲学の「哲学」の意味とはなにかという問いを出発点とし、様々な研究者の考えを提示しながらp4cについてお話くださりました。p4cは子どもがわめいているだけで哲学とは違うという意見を紹介しながらも、批判的思考を養うための哲学(p)と学術的な哲学(P)は違うという考えを提示します。ここから、学術的な哲学と哲学対話の哲学は全く違うのか、共通点はないのかという問いが出されました。p4cについて、それは答えを見出すものであるという考えや思考の遊び場としてのp4cという考えを提示し、理性的、思考的な要素ではないものを取り入れた、reasonとpassionをつなぐものとしてのp4cについてお話くださりました。
3人の発表の後、参加者全員で輪を作り、哲学対話の形式で発表者への質問とディスカッションが行われました。この対話パートでは、主に哲学対話のルールについてと、哲学対話の場の知的安全性(セーフティ)についての話がなされていました。
3人の発表者や実際に対話の実践を行っている方々がセーフティを重視したルールの提示やファシリテーションを行っているという点から、ルールは教え込みではないのか、そもそも常にルールを議論できる場であることが哲学対話なのではないかといった話が出てきました。
また、セーフティに関して、自由に発言していく中で政治や宗教、ジェンダーと言った話に流れていき知らぬうちに傷つく人がいるのではないかという問いが発され、そこからさらにそもそもなぜ政治や宗教で気を害するとタブー視するのかという問いが出されました。この問いを受けて、オープンに問う場を作るということの難しさについての話に移っていきました。
対話が盛り上がってきたところで時間が来てしまい、哲学対話が終わるときと同じ雰囲気の中でワークショップが終了しました。哲学対話を数多く実践していくことも当然重要ではあるが、それだけではなく、実践を支えていく理論的な研究を行っていくこと、そしてそれを実践者と共有していくことも哲学対話を行っていく上で重要なものであるということを感じることができるワークショップでした。
(レポート執筆:立教大学大学院文学研究科博士前期課程 1年 皆川朋生)